避難住民の癒しのために始めた紙芝居。言葉と絵の力で、震災の教訓を伝える。 避難住民の癒しのために始めた紙芝居。言葉と絵の力で、震災の教訓を伝える。

津波を受けながら全員無事だった請戸小学校。
奇跡の実話を紙芝居で伝え、風化を防ぐ。

浪江町請戸地区は震災時の大きな揺れとその後発生した15メートルもの津波に見舞われました。その後、原発事故の影響により、長期間にわたり避難生活が強いられた地域でもあります。その海岸からほど近い場所にある震災遺構浪江町立請戸小学校は、震災を風化させず、多くの人に自分事として捉えて欲しいとの思いから、被害を受けた校舎を保存する福島県内唯一の震災遺構です。外から目に留まるのは、2階ベランダの外壁に記された「津波到達点」のライン。2階の床まで津波が押し寄せたことを表しており、ここに留まっていたら生命の危険にさらされていたことを物語っています。天井の配管等はむき出し、壁も打ち抜かれ骨組みだけの状態で保存されており、12年が経過した今も津波の威力に恐怖を覚えます。これほどまでの被害を受けながら、請戸小学校では誰一人亡くすことなく全員避難できました。この奇跡の学校とも言われる実話をはじめ、震災の記憶と地域の民話等を紙芝居等にして語るのは、浪江町を中心に県内外で活動する「浪江まち物語つたえ隊」です。

請戸小学校の館内。天井や壁面の鉄骨がむき出しになった教室。

請戸小学校の館内。天井や壁面の鉄骨がむき出しになった教室。

避難生活で孤立感が増す住民たち。
癒しを提供するために昔話を紙芝居化。

メンバーをまとめるのは代表の八島妃彩さん。「語り部を始めたきっかけは、避難先の仮設住宅で広島県のボランティア団体から紙芝居をつくってもらったことです」と振り返ります。浪江町は原発事故の影響で町内全域に避難指示が出され、町民は長期間にわたり避難生活を余儀なくされました。それにより、かつての地域のつながりが失われ、孤独を感じる住民も数多くいたのです。そんな方々に、浪江町の昔話をプレゼントすることで少しでも癒しになればと活動していたのが広島県のボランティア団体。仮設住宅に暮らしていた語り部のおばあさんの話をもとに紙芝居の制作を進めていましたが、その方が急逝してしまいます。「おばあさんのためにも紙芝居を生かしたい、それがきっかけでした。私自身、震災前に図書館や学童保育で働いていたので読み聞かせには慣れていたのです。」こうして当時の仮設住宅の自治会長だった初代代表の小澤是寛さんと「浪江まち物語つたえ隊」を立ち上げ、活動を始めます。

原発事故後の避難生活とつたえ隊の結成の経緯等を語る八島さん。

原発事故後の避難生活と「浪江まち物語つたえ隊」の結成の経緯等を語る八島さん。

依頼が増える中、震災伝承にも取り組む。
仲間とともに、これからも記憶を未来へ。

こうして「浪江まち物語つたえ隊」は、もともと仮設住宅で暮らす浪江町の住民に地元の昔話を伝えるために始まりました。それが話題となり、講話の依頼が増えていく中で、消防団の想いを描いた代表作『無念』や避難所での暮らしを伝える『見えない雲の下で』、そして、請戸小学校での実話『奇蹟の請戸小避難物語』等、震災に関わる作品も加えて活動するようになります。さらに、語り部養成講座の受講生や桑折町の民話の会等が加わり、一時には20名ほどが参加する団体へと成長。しかし、浪江町の避難指示が解除になり、町への帰還が始まると、メンバーは各地にバラバラとなり、現在活動しているのは5名ほどです。それでも、紙芝居には原稿があり絵があり、話し手も聞き手も気負うことなく震災体験を共有することができます。震災から12年が経過し風化が懸念される中、その役割は今後ますます大きくなっていくはずです。「一緒に活動するメンバーがいることが励みになります。これからもお互いを高め合いながら活動を続けていきます」と八島さんは語りました。

紙芝居を通じて、請戸小学校の奇蹟の物語を伝える。日々の備えと先生方の判断、子どもたちの機転も生命を守ることにつながった。

紙芝居を通じて、請戸小学校の奇蹟の物語を伝える。日々の備えと先生方の判断、子どもたちの機転も生命を守ることにつながった。

震災遺構浪江町立請戸小学校

〒979-1522
福島県双葉郡浪江町請戸持平56
TEL:0240-23-7041

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