里見喜生さん 里見喜生さん

ボランティア宿泊先として初動を支えるも、
一般客ゼロで旅館廃業も考えるように。

里見さんは語り部である前に、温泉旅館「古滝屋」の16代当主でもあります。古滝屋は元禄期の1695年に創業。そんな老舗を襲ったのが、大きな揺れと原子力災害でした。発生時には建物の損傷に加えて温泉も1カ月間ストップ。何とか来館した宿泊者を翌日送り出すと、従業員とともに群馬県へ避難することに。古滝屋は営業休止となったのです。しかし里見さんは1週間後、地元が心配になって帰還。各方面から要請を受け、旅館を救援物資受け渡し拠点にしたり、ボランティアの宿泊を受け入れたり、双葉高生の寄宿舎にしたりして震災の初動対応を支えました。当時について「地域の一員としての責任感が原動力でした」と振り返る里見さん。特にボランティア受け入れについては、震災前から町作りに関わっていただけに全国から宿泊先として打診されていたそうです。その半面、大きな被害もあって一般の宿泊客はゼロ。秋には従業員140名を全員解雇し、廃業も考えるようになりました。

震災関連情報発信の場でもある古滝屋ブックカフェコーナーで、原子力災害に特化した語り部活動やツアー内容について話す里見さん

震災関連情報発信の場でもある古滝屋ブックカフェコーナーで、原子力災害に特化した語り部活動やツアー内容について話す里見さん

現場を案内することにこだわりながら、
原子力災害に特化した被災地ツアーを継続。

廃業か再建かの指針になったのは、亡き父がまとめていた旅館や地元の歴史でした。里見さんは「昔は炭鉱開発での温泉枯渇や戦災もあったが、いまは温泉も布団もある」と再認識。震災も含めた歴史を語り継いでいこうと、あらためて営業再開を目指すことにしたのです。2011年12月には改修工事が始まりましたが、その直前には語り部活動の中心となるFスタディツアーがスタート。これまでに年間500〜600人を案内し、被害の大きさや被災地の現状を伝えてきました。このツアーは地震や津波でなく、原子力災害に特化している点が特徴です。焦点を絞った理由は「人災である原子力災害について話す語り部が少ないから」とのこと。被災地を回ることにもこだわり「現地を見れば原子力災害の危険性やエネルギー消費リスクが体感できる」とその狙いを口にしていました。主なコースは富岡町のJR夜ノ森駅前、雑草に覆われた民家、慰霊碑、富岡漁港、原発を望む高台等。ガイドなしでも入れる資料館には寄らず、参加者個人で回るよう促しています。

Fスタディツアーの起点となる古滝屋内には原子力災害考証館もあり、大熊町の語り部である木村紀夫さんが提供した娘の遺品も収蔵

Fスタディツアーの起点となる古滝屋内には原子力災害考証館もあり、大熊町の語り部である木村紀夫さんが提供した娘の遺品も収蔵

被災者が抱える複雑な思いを伝えようと、
旅館内に民営の原子力災害考証館を開設。

ツアーでの語り部活動のほか、イベントでの講演もほぼ100%対応している里見さん。他の語り部とも触れ合ううち、彼らの複雑な心境を伝え残したいと考えるようになりました。被災者の胸中には復興ムードに遠慮して言えない感情、帰還後も震災前の暮らしが取り戻せない不満等が渦巻いているのです。そんなメディアや資料館に並ばない思いを伝えようと、2021年には旅館内に「原子力災害考証館furusato」を開設しました。その一方で「原子力災害のイメージは観光業にマイナス」との指摘に悩んだことも。しかし現在では観光業のみでなく「未来づくり業」を意識することで前向きになり、旅館経営を含む幅広い活動に取り組めています。ちなみに旅館は2012年に営業を再開。現在はボランティア受け入れでつながった宿泊客が増えているそうです。最近では職業能力開発校の講師も務め、学びの場からも原子力災害を伝えるように。当時幼かった世代を相手に、震災を伝える試行錯誤が続いています。

水俣病歴史考証館をヒントにして開設された考証館は、民間・公的施設を両方見学させて総合的な理解を促すことを目指しています

水俣病歴史考証館をヒントにして開設された考証館は、民間・公的施設を両方見学させて総合的な理解を促すことを目指しています

原子力災害考証館furusato
(古滝屋9階)

〒972-8321
福島県いわき市常磐湯本町三函208(古滝屋)
TEL: 0246-43-2191(古滝屋)
HP:https://furusatondm.mystrikingly.com
MAIL:futasuke8@gmail.com

お問い合わせ