松本智幸さん 松本智幸さん

2023年2月に実施された役場語り部で、
被災状況や町民への対応について共有。

楢葉町役場の松本智幸さんは、町民税務課の課長として働く職員です。2023年2月には若手職員向けに震災経験等を伝える「役場語り部」として、当時の状況や業務について話しました。役場語り部は町職員の約半数が震災後に採用されたという状況を受け、当時の教訓や経験を共有すべく2022年から実施されている取り組みです。毎回異なるベテラン職員が語り部となり、当時の出来事や対応等を共有してきました。松本さんが話した際は、当時所属していた住民福祉課の一員として避難所の運営や避難町民の対応に当たった経験を共有。合わせて当時の役場内の混乱ぶり、津波の状況、避難所の様子や運営状況等についても触れていました。その中で強調したのは「次に何が起こるか分からない非常時にこそ、瞬間瞬間の判断が重要になる」という点です。そんな内容の基になったのが、震災時に味わった厳しい経験の数々。被災町民への対応に尽力した半面、松本さんら町職員もまた大きな被害に見舞われていたのです。

松本さんが担当した2023年の役場語り部では、有事にこそ瞬時の判断や人とのつながりが重要になるとの内容が強調されました。

松本さんが担当した2023年の役場語り部では、有事にこそ瞬時の判断や人とのつながりが重要になるとの内容が強調されました。

津波で自宅を失った被災者でありながら、
町民への対応や避難所の運営に力を尽くす。

震災発生時、松本さんは町役場で業務中でした。大津波が来るとの報道を受け、住民福祉課では職員2人組の4班を編成して海沿いからの町民避難を促すことに。松本さんは土地勘のあった山田浜等を回る班に志願。到着した山田浜周辺では津波によって行方不明者が発生し、松本さん宅を含む家々も多数流失してしまいました。他班では津波に追いかけられた職員もいた様子。当時は津波への警戒意識も薄く、避難呼びかけも危険をともなう業務だったのです。その後も避難所運営や町民誘導に奔走した松本さん。我が子をJヴィレッジに送り届けた夜9時ごろには家族全員と顔をそろえることができました。しかし翌日には避難所運営のために家族と離れ、いわき市の小学校へ。松本さんは「無事を確かめたことで仕事に戻る覚悟も決まりました」と振り返っていました。その後は町民の安否確認を進めながら、4月上旬には再会した家族とともに会津若松市へ避難。2015年にはいわき市の新居に移り、現在も町外から役場へ通っています。

役場語り部について「万一の際の心構えになれば」と願う松本さんには「若手にあの体験を味わってほしくない」との思いも。

役場語り部について「万一の際の心構えになれば」と願う松本さんには「若手にあの体験を味わってほしくない」との思いも。

「自分だけが被害を受けた訳ではない」。
自治体職員として幅広い形で震災と関わる。

松本さんは2015年から町放射線健康管理委員会の事務局も担当しました。また2016〜2017年には早稲田大学と福島大学の共催による原発被災地復興シンポジウムに参加。災害時の法整備研究に携わり、当時の町の被災状況や復興度合いを報告しています。熊本地震が発生した2016年には、自身を含む町職員3名で熊本市まで支援物資を輸送。交代で4tトラックを運転し、往復3,000kmを走破しました。自身も被災者ながら、なぜそこまで被災者に対応できるのか尋ねると「さまざまな支援を受けた自分たちにとっての責務だと感じたから」との言葉が返ってきました。松本さんによると自分も他の職員も町民も同じ被災者で「自分だけが大きな被害を受けた訳ではない」とのこと。「多くのものを失った方がいる中で自分には家族も仕事も残った。その仕事に取り組んだだけ」なのだそうです。震災時には警察、消防、自治体職員等、自身も被災者ながら業務に取り組む人々が大勢いました。そういった人々の奮闘で被災地が支えられたこともまた、広く語り継いでいくべきことのひとつなのでしょう。

町の災害記録誌を基に当時を振り返る松本さん。その背景には、町職員の半数近くが震災後に入った若手だという事実があります。

町の災害記録誌を基に当時を振り返る松本さん。その背景には、町職員の半数近くが震災後に入った若手だという事実があります。

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